2024年11月17日
伊集院~鹿児島市県民交流センター 薩摩街道完歩
喜入のAZホテル出発、入明駅6時47分発で鹿児島中央駅へ、鹿児島本線に乗り換え伊集院駅へ
きょうでやっと薩摩街道完歩します。
伊集院駅 7時30分スタート
鹿児島市県民交流センター 16時 着
45.558歩 27.33㎞ 1461kl
伊集院駅前の 島津義弘の馬上姿像

千秋山 雪窓院跡
島津義久・義弘・歳久の母で、入来院重聡の娘として生まれる、雪窓院妙安大姉の菩提寺であった。天文13年(1544)8月15日一宇治城で没した。後年、3人で母の菩提をと冥福を祈って建てた
今は取り壊されている

島津義弘公剃髪石 のある十字路
寺はないが 仁王像の頭部分 が残っている



十字路を昨日の続きを東に真直ぐ伊集院の町並みを進みます。
十字路の直ぐ先、右に伊集院小学校、道を挟んだ左向かいに 地頭仮屋本門 伊集院小学校の敷地に藩政時代「地頭仮屋」が置かれ、旧伊集院郷を納めていた、明治4年廃藩置県により廃止するまで続いた。


伊集院小学校

直ぐの十字路を右に入ると左に 南方神社

傍に 無量寿院竜泉寺跡の木標 が立っている

南方神社の南のすぐ近くに、薩摩藩の尊王攘夷の志士として活躍していたが、文久2年(1862、4月)、京都寺田屋で島津久光の命により同じ薩摩藩士に上意打ちにて壮絶な死を遂げた。有馬新七の墓の表示があるが、この先の墓内を捜したが分からなくて見つけられなかったのが残念。

借りた写真です 有馬新七の墓 この墓地だと思うが聞くにも人がいなく悔しい


元の十字路に戻り進んだ左に 祠

左の郵便局を過ぎて神之川に架かる永平橋を渡る。さらにその先、JR鹿児島本線の踏切を越えます。そして県道を横断します。少し上っています


妙円寺詣りの看板 を見て伊集院の市街地を抜ける

上り坂が延々と続きます

左奥に学校のある所で、少しだけ旧道が弓型に迂回しています

一旦右の車道に合流したあと、すぐまた左に迂回する旧道があります。丁度迂回した剣道を挟んだ右手に 春日神社 少し離れたので寄らずに行きます

迂回道の途中から左から道が合流して、県道に合流します

合流して150m程県道を進むと、清藤バス停の所で県道206号を左に分けて右の旧道に入ります

右の旧道に入ったところ

長閑な道を進む

やがて石谷川に架かる清藤橋を渡り旧道は右の山道を進みますが、数十m左の県道向かいにあるヤジロウの墓に寄ります
ヤジロウの墓
大木の下に小さな五輪塔の墓があります。説明によると、マラッカで宣教師のザビエルと出会い、日本人最初の洗礼を受け、ザビエルを日本に案内した。天文18年(1549)一宇治城での島津貴久との会見にも案内した。
宗教上のことでこの地で殺されたときされている。
ヤジロウの墓 小さな五輪塔があります


橋を渡って右に折れて東に進みます。案内標識があります

暫く歩くと山道になります

右手石谷川の向こうには崖が見えます。街道は気持ち良い道です

山道ですがさほど急坂でない旧道


旧道の情緒が会って何とも言えない気持ち良さ

舗装道と違っていくら歩いていても疲れない

五本松の茶屋跡 の案内板があります昔、両側に大きな松が5本あって、江戸時代は旅人たちの休憩場所であった。
鹿児島から伊集院まで水上坂・横井・五本松と茶屋があった


右の道を進む

道なりに進んでいきます

緩やかな上りが続いています

右への案内標識が建っています

ジャパンウェイスト工場に突き当たります

工場内に向かって案内標示がされている

工場内の敷地と思われるが通らせていただけそうです。工場を迂回しなくて済みました


工場を抜けたところで、左県道206号が合流します


合流した206号線ですが、案内板には今来た山道の2㎞ほどの道は、江戸時代の「出水筋」の一部で、昔の面影を色濃く残す道ですと紹介されている。また妙円寺詣でりの道であったと書かれています


この先の道も歩道が県道と変わらないぐらいの幅があり素晴らしい、また舗装の道も趣向を凝らして素晴らしい。多分今も毎年続く沢山の人が参加する、妙円寺詣りのための道だからだろう。

これなら車がいくら走っても大丈夫素晴らしい歩道です

左に 地蔵と石佛

その先、左への旧道を上ると、願立寺の変わった鐘楼門 が立っています

左高台に 真如寺願立寺 を見て進む

願立寺から下ってきて振り返ったところ。県道に合流して左へ

左から広い車道が合流します

すこし先で左に入っていく旧道があります

山道のような旧道、右手には県道が近くを並行しています。
少し迂回したところで、右からの県道に合流します。竹ノ山バス停の所に出ます


広い歩道が続いています。全国の街道歩いていますがこれだけの歩道はどこにも見当たらない。素晴らしい
通常ならチョット山手にはいれば、れっきとした国道でも歩道がないところが多々あるのに頭が下がります。

その先を進むと、左手に道の駅のような、チェスト館すぐそばに交差点がありそこから振り返る、いよいよ鹿児島市に入りました

暫く進んだところ右に急カーブして左にカーブする所に
女髪結い屋敷跡・枚岡神社 が傍にあるのだが分からなかった
直ぐ先で交差点に出ます、古別府バス停、今まで付き合って頂いた県道206号線は交差点を左に折れていきます。薩摩街道は真直ぐ

右手に広大な鹿児島市北部清掃工場が見えます

清掃工場を右に見て過ぎた先、番屋下地区 名前の通り 番屋 があったそうです

とにかくこの先の道は単調な道で坦々と歩くのみ

途中左に迂回する短い区間があります。

一本道だから間違うことがない。左に武岡台高校、右に、こども園・おおとり幼稚園を見て進み、さらに左手に武岡台公園、武岡6丁目では、高速道の田上トンネルの上を進み、左手に武岡台小学校があります
左の武岡小学校、地下は田上トンネルの所から600m程先の、武岡2丁目16の十字路で、写真が撮れていませんが左の旧道に入ります。左に折れて100m程で分岐して右に大きくカーブするところの分岐は広い道で左の道を進む。更に右の道は武岡の新興住宅地に入る道です。

右に急カーブしてのこの先の旧道は、水上坂(みつかんざか)といって結構急坂の旧道です。常盤町に入ります


車も走るし道は狭くなり歩道もなく少し危険ですが。旧道の雰囲気を残す趣向として是もまたいいようです。
坂を下ったところの民家のおじさんと話したとき、年1回の妙円寺詣りの日は多くの人がこの水上坂を上り、伊集院の徳重神社へ歩くそうです。おじさんも毎年参加していると話されていました。
そういう意味では長く残してほしい歴史ある坂道です。

常盤町1丁目に入ると両側には民家が並んでいます

八田知紀誕生地の道標と説明板
明治の宮廷歌人、寛政11年(1799)ここ西田村に生誕 京都薩摩藩邸の留守居下役



近くの 二体のお地蔵さんの祠

右手に 大久保利通夫人(マス)生家跡 常盤1丁目22


常磐町の史跡案内


右に 日枝神社 鳥居を潜り石段を登ります


日枝神社の境内の樹齢350年クスノキと島津家の紋が入った 灯篭


街道を少し進んだところ、西田小学校の一筋南側の街道で中断(寄り道)左への道に入ります

ここの民家が謂れありそうで覗いていると丁度、中から奥様がたまたま出てきて、この辺りの古くからの方で、少し話をするが、出かけるところで時間があればこの付近を案内してあげたのだがと残念がていました、有難うございます

千眼寺跡
薩英戦争の本陣跡でここで島津久光、忠義が指揮を執ったと場所

左奥に階段を上るところに 雄風亭碑 の表示


尾畔(おぐろ)山山頂には島津第25代重豪の別荘 雄風亭、東屋造りの別荘があり、小松帯刀なども持っていた桜島等が望める景勝地であった場所。今は私有地となって正面の石段さえ入ることが出来なく荒れています

更に北に暫く進んでいくと左に 西郷家墓地 に出ます

西郷家の墓




吉田茂が揮毫した 「西郷家の墓」


整然と並んだ先祖代々の墓 隆盛と島妻の愛加奈との間に生まれた、京都市長を勤めた菊次郎の墓もあります

さらに北に進み、もう一つ行きたい原良町の、小松帯刀屋敷跡へ



屋敷跡の石垣が周りを囲んでいます、かなり広い屋敷です、さすが薩摩藩の家老

樹齢約300年のウメの保存樹

一角に当時の建物ではありませんが、古さを感じさせる建物です。所有者の方が中を解体して整備していました。
敷地が広いから整備大変だろう

この前の方が、私が外から覗いていたら出てこられて、今は私有地になっているが、あの方とは親しいからと言って案内していただき屋敷内に入らせていただいた。中に入ると荒れてはいるが、歴史を感じさせてくれる。所有者の方が、これから屋敷や庭を整備していくと話されていた。広いから大変だが頑張ってください。
案内していただいたご主人にお礼を言って帰りました。思いがけない嬉しい接待を受けました。
庭、自由に写真に収めて頂いていいと撮らせて頂きました

主屋と庭




広くて本当に整備は大変だろうなとおもいながら小松邸を後にしました

西田小学校の南の街道に戻りスタート

西本願寺鹿児島別院 を見て進む

西田を西に進んでいく

やがて鹿児島本線のガードを潜ります

左手に 赤い秋葉神社の祠

道路が広くなり

甲突川に架かる西田橋を渡ります


往時の西田町

西田橋関

西田橋より右(南)の川

橋を渡った左に、8・6豪雨災害之碑、平成5年8月6日の災害



少し進んだ右手に 曹洞宗松原山大中寺

薩摩義士墓所の大きな標示

幕府より宝暦3年(1753)木曽3川の大治水工事を命じられ、薩摩藩士約1000名、約45万両の費用、1年3ヵ月で完成したが。想像を絶する難工事であった。完成後、総奉行平田靱負、藩士54名、病死34名という犠牲を出した。墓は東海道を歩いた時、近くの 桑名の海蔵寺に墓 があったことを思い出した。藩にしては膨大な費用と人財の犠牲であった。
幕府への恨みも維新の一つかもしれない


碑には犠牲となった名が刻む



すこし先右に ザビエル記念公園
ザビエル・ヤジロウ・ベルナルドの三人の像

石の門の前には ザビエルの胸像



街道向かい左手には 鹿児島カテドラル・ザビエル教会

左右には史跡も沢山ありますが、とりあえず街道を進んでいきます、街道と言っても広い車道です

左の道が広くなっている交差点を横断します。左奥の 鳥居は島津斉彬を祀る照国神社

行政の建物を中心にした町並み、間もなく薩摩街道も終わりです


県民交流センター・市役所辺りを薩摩街道の終点とします




小松帯刀銅像

起点がはっきり分からないので、少し拍子抜けしますが。長い時間と日数をかけてやっと念願の薩摩街道を完歩しました。感無量です。
この近くに今晩のホテル、リッチモンドホテル鹿児島があるので、明日午前中近くを回ります。


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